「南船北馬」の言葉通り、中国北方地帯の乗馬の歴史は古く、紀元前から東北高原、内モンゴル、ウイグル地区までの広大な草原に、数多くの騎馬遊牧民族が点在していた。しかし、歴代の中国漢民族中央政権にとっては、北方の騎馬民族は異民族であり長い間、戦いの歴史であった。その騎馬遊牧民から初期の鐙が伝わり、またたく間に東西に広まった。中国で、はっきりと鐙が確認されるのは随、唐の時代の副葬品の騎馬傭からで、初期のものは馬に乗るだけに使用したために、片方しか無かったことも確認されている。英国のジョセフ・ニーダム名誉文学博士の著書「中国の科学と文明」(河出書房新社刊)によると、AD 3世紀には、優れた中国の冶金の技術によって、鋳造の青銅や鉄の鐙が量産されていたとの記述がある。